
実家へ帰省していた3連休。
両親と龍雲寺で開催されていた「金澤翔子 龍雲寺展」へ行ってきました。
「母への手紙」
展示の中でも、ひときわ多くの人を立ち止まらせていたのが、翔子さんの最後の作品「母への手紙」でした。
写真撮影OK、SNS掲載OKだったので、以下に全文を掲載します。
(書の前で涙をこらえる人が多く、私もその一人でした。)







母への手紙
お母様のお腹にいる時に、
出たい出たいと足蹴ったのを覚えていますか?
痛かったかな?
赤ちゃんの私を産んでくれて
ありがとう
お母様が大好きなので
お母様のところに
生まれてきました
五歳から書道教えてくれて
ありがとう
お母様は私にうまく書かせた
いなと思ってだからうまく
書けるようになりました
お料理もお掃除も
お洗濯も
見て全部自分で考えて
覚えました
お母様はできるかなって
見守ってくれました
今は何でも
できるようになりました
一人暮らしになっても
家事を頑張ります
一人になっても寂しくないです
一人で大丈夫です
お母様泣かないで
お母様が寂しくないように
夜になったら
私が月になって
お母さまを照らして
声をかけますね
将来は
マイケル・ジャクソンと
結婚したいです
赤ちゃんを産んだら
里帰りします
お母様は
おばあちゃんになります
お母様が大好き
愛しています
愛してる
ずーっと愛してる
一人暮らしになっても
一緒に書きましょうね
そして皆さんに
元気とハッピーと
感動をあげたいです
翔子
母とわたし
その夜、ちょうど母が整理していたアルバムの中から、
母と、2歳くらいの私が写った写真を見つけて、もらってきました。
若いお母さんと、
お母さんに抱っこされてる幼い私。
母は紋付の黒い着物を着て、私は絞りの赤い着物を着てる。
誰かの結婚式かな。
母の膝の上で抱かれて座る前には大きな円卓。
よく見ると、テーブルの上に広がるお料理の手前に、「グリコ」の赤いキャラメルの箱。
私には2歳差の弟と、5歳差の妹がいて、弟がお腹にいるか、生まれた頃かも知れない。
おかっぱ頭に真っ赤なほっぺのわたしはとてもかわいくて、
優しい笑顔で写真に写るお母さんは私にそっくり。
(あ、逆か。わたしがお母さんにそっくりなんだ。)
あの書を見た後だったから、なんだかじーんときてしまった。
私は幸せだな。
ずっと、幸せだったな。